「映画を早送りで観る人たち」稲田豊史(光文社新書)

「映画を早送りで観る人たち」(2026年6月)

現代社会のパンドラの箱を開ける!
なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか――。なんのために? それで作品を味わったといえるのか? 著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は、やがてそうせざるを 得ない切実さがこの社会を覆っているという事実に突き当たる。一体何がそうした視聴スタイルを生んだのか? いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか? あまりに巨大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作。

なんと興味をそそる本でしょう。映画は早送りで観ません。映画は味わうもの、早送りなんてしたら、かみしめることが出来なくなってしまう。もったいない。では何のために観るのか。理解できる要素がひとつもない。

根本が違う。映画は鑑賞するものではなく、ただの情報のようだ。
ただの情報なら、倍速視聴して、たくさんの情報を取り込みたい。
ただの情報なら、不足なく全部説明が必要で、視聴者の思考の余白なんてものは必要ない。
だだの情報なら、感情を揺さぶられたくないから、好きなところだけを好きなように取り入れたい。

さらに、圧倒的に情報過多のため、あらゆることが公にふれる。他者の「できた!」情報や、批判や共感、それらが取り留めなく押し寄せてくる。自分に必要かもと取り上げていくと圧倒的に時間が足りない。有益な情報を得ている事実もある中、程よく付き合うには「タイパ」「コスパ」を重視して時間を作り出すしかない。
現在は「タイパ」「コスパ」が重視され、最短ルートで最高の成果を出したい、失敗したくない。
根底にそんな意識が存在する。

遠回り道やら、失敗やらを体験することで、人間の深みや広がりが身に付くのではなかろうか。
その過程を歩むことが少ない現代で、スペシャリストは育つのだろうか。心配になる。
現状単純に、その過程を歩む時間ない。無限の甘い誘惑と魅力的なコンテンツの嵐とが襲ってくる。そんな襲来を問題とせずまっすぐ突き進むことが出来たら幸せだろうな…。
ただ、圧倒的な情報過多の現代で、瞬時に多くの情報を処理する能力をトレーニングしてきた。倍速視聴で問題ないのは、トレーニングの成果で情報処理能力が長けてくる。

結論:社会の変化に柔軟に対応しながら、健全に変化の波に乗る。時代が変われば常識も変わるのだから。あれっ?!この結論正解?どのように読み取るかは読者の自由だけど、正解の一つと口に出すと途端に非難を浴びる?下手に公言できません。

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